お茶を使ったギャンブルがあるって本当?

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日本のお茶の生産量は年間約10万トン。その大半は国内消費向けで、輸出用は総生産量のわずか3%だということをご存知でしたか?

お茶の日本伝来

中国ではお茶が何千年もの間親しまれており、初めてお茶の木が栽培されたのは雲南省でした。お茶の葉は紀元前2700年もの昔に薬として使用されていましたが、その後日常的に消費されるようになっていきました。

お茶の消費を広めたのは仏教の習慣でした。仏教ではアルコールを飲むことが禁じられており、お茶は眠気を抑える飲み物として重宝されました。当初は貴族と僧たちのみが、お茶を飲むことができましたが、紀元581年から618年の間に隋朝で一般の人でも飲めるようになっていきました。

9世紀に日本へお茶が伝来してからは国内栽培が急速に進み、中国から輸入しなくても国内の消費を賄えるようになりました。

闘茶について

闘茶とは中世に大流行した遊びで、利き茶を競うものです。当初闘茶は現在の茶の湯のようにあらたまったものではなく、純粋なお茶とそれ以外のお茶を飲み比べる遊びとして始まりました。

しかし高額のお金、土地、家などが賭けられるようになると、闘茶(グループで集まってお茶を飲む遊び)は道義的な非難を受けるようになりました。流行していた闘茶が二条河原落首で批判された後に禁止令が発行されましたが、人々は密かに遊び続け、さらに流行していきました。

闘茶には様々なやり方があります。一つは、純粋なお茶とそれ以外のお茶を見分けるもので、最初に間違えた人が負けとなります。その後さらに複雑になっていきます。

闘茶の全盛期であった南北朝時代から室町時代にかけて、最も人気のあったルールは四種十服茶というもので、三種一客と呼ばれる4種類の茶を使います。ルールは、3種のお茶を別々の茶巾に入れて「一の茶」「二の茶」「三の茶」とし、飲んで味や香りを比べます。

3種の茶をそれぞれ3袋ずつと、「客茶」(4種の茶のうちの1種で、これは試飲をさせない)が入った1袋の計10袋を用意します。これら10袋がゲームの参加者に順不同で配られます。参加者たちはそれら10袋のお茶を飲み比べて、「一の茶」「二の茶」「三の茶」あるいは「客茶」と同じものかどうかを答えます。正しく答えた人が勝ちです。

闘茶の種類には他に「二種四服茶」「四季々茶」「釣茶」「六色茶」「系図茶」「源氏茶」などがありました。

その後15世紀中頃から闘茶は下火になっていきました。さらに村田珠光、武野紹鴎、千利休らによってわび茶という様式が生み出されると、余興や賭博の要素がある闘茶は茶の湯から外されました。

1332年6月5日(1332年6月28日)の光厳天皇の回顧録には、皇室の廷臣たちとの「茶のみゲーム」が記録されています。また「太平記」にも、佐々木尊氏が大きな賞をかけて「百花茶」を開いたことが記載されています。

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